あらかた話も終わり、私は史乃と一緒に史乃の部屋に来ていた。
会話はない。
さっきの我慢大会と似た状態。
することもないので、部屋の中を観察する。
三日前とは違って、段ボールはもう無い。
本棚や机の上もキチッと整理整頓されてある。
……男子の部屋は汚いって噂は嘘だったか。
まぁどっちでもいいんだけどね。
本棚には難しそうな哲学書や漫画があり、机の上には写真立てがある。
そこの写真は、前見たのと全く同じものだった。
気になる……。
「ねぇ」
ジッと写真だけを見ながら、声をかけた。
「ん?」
「その写真の女の子、誰?」
「あぁ……この人?俺の姉さん。中学生くらいにしか見えないけどね」
苦笑しながら、史乃は答えた。
確かにそれくらいにしか見えない。
いや、これは小学生と言われても悩むかも……。
でも意外。
「史乃にお姉ちゃんがいるんだ……ふーん」
「正確にはいた、だけどね」
「え……」
それはつまり──あーもう、訊くんじゃなかった。
「んと……ごめん」
「別に気にしなくてもいいよ……」
……。
うわ……嫌な空気になってる。
別の話題別の話題……あ、そだ。
「そういや、そろそろ教えてよ。『思想』の授業休んでる理由。
付き合ってるんだから教えてくれてもいいよね?」
私の言葉に史乃は数秒止まり、やがてゆっくりと相づちをうった。
「あぁー……よく覚えてたね。それじゃあ教えるよ」
忘れてたのか……まぁ私も今思い出したばっかりだから、人のこと言えないけど。
「んっと……単純に言えば、親父がヒノン教の司教なんだよね」
「げ……それホント?」
司教って、確か司祭よりも偉い人……だよね。
「ホント。しかも教育熱心。そのお陰で、俺は小学校三年の頃には高校三年までの『思想』で習う知識、全部覚えさせられた。
だから授業なんて出なくてもテストで点取れるし、司教の子供って肩書きがあるから評定もあまり下がらないんだよね」
親の七光……か。
ずるいなぁ。
「ま、それが表向きの理由」
「ふーん──って、裏の理由とかあるの?」
「ここからは姉さんの話も関わってくるけどね。
とりあえず、俺も姉さんも中学校までは問題なかったんだ。
問題が起きたのは俺が中学校二年、姉さんが高校二年の時。
姉さんに彼氏が出来たんだ」
急に、史乃の声のトーンが落ちた。
訊かなきゃ良かったかも……でももう遅いかぁ。
まさかお姉ちゃんの話題が入るとは思わなかったし……。
「その彼氏、生殖機能がまだある人でさ、
男性だったら五人に一人はあるんだし別に珍しくはなかったんだけど──親父は交際を許さなかったんだ。
彼氏に生殖機能があるから、ってのだけを理由にね。
当然姉さんは大反発。家出して、彼氏の家に行ったみたい」
へ?
それって何だか──。
「曖昧じゃない?行ったみたいって」
「うん、俺の勘も多少入ってる。親父は何も詳しい話してくれなかったからね。
──まぁそれで親父も激怒。
ここからは実は結果しか知らないんだけど……多分親父が何かしたんだと思う。
その彼氏は一家共々心中、責任を感じた姉さんも後追い自殺。
親父が何をしたのかは判らないけど、えぐいことをやったんだろうね。
……地位を利用すれば、今回の河見さんにしたようなことさえ出来るし」
最後の言葉は、私に対する謝罪の意味を含んでるように感じた。
──気にする必要無いのに。
確かに腹は立つ。
けど、どうせ司教が史乃の父親じゃなくても、この状況には遅かれ早かれなってたんだもん。
……仕方ないよ。
「俺さ、河見さんには感謝してるんだよ」
突然、史乃は笑いながら変なことを言った。
私は反射的に「どうして?」と訊く。
「姉さんが死んだ後、俺どうすればいいのか判らなくなってさ。
親父は俺をヒノン教の幹部にしたいらしいんだけど、ヒノン教が正しいのかどうか判らなくなったんだ。
親父のことを知ってる人は、俺を司教の息子としか見ない。
知らない人は、俺のことなんか見向きもしない。
三日前まで、どうしようかずっと悩んでた」
三日前?
それって──。
「そう」
私の心を読んだかのように、史乃は頷いた。
「河見さんが、俺の質問に答えてくれた日だよ。
何となく天体観測してたら、河見さんの声が聞こえたんだから驚いたよ。
まさか、あの時間帯に人がいるなんて思わなかったからね」
クスクス、という表現が似合う笑い方をする。
まぁ……確かにあの日は寝過ぎたかな。
「話してる途中に『あぁ、この人は俺の立場だったらどうするんだろう』って思って、あんな質問をしたんだ。
他人にこんな身内話聞かせられないから、星に例えて遠回しに訊いたけどね」
「ふーん……つまりあの時の史乃は、父親の光に照らされてないと誰からも気づかれない星ってこと?」
「ご名答。友達がいないからね──と言っても、彼女は出来たけど」
ねっ?と言いつつ、ウインクをしてきた。
ウインクが似合わなかったら引いてたけど──似合ってたから許そう。
というか、男のウインクとか初めて見た……。
今時、キザな人しかしないと思ってたんだけど……こいつは絶対素でやってるだろうなぁ。
「あの時河見さんがいなかったら、多分今もずっと悩んでたと思う」
「そこまで……別にいいけどね。それじゃあ、あの時の子供の質問もやっぱり?」
「うん、まぁあれはかなり直接的に訊いてたけどね。
とりあえず俺は河見さんのお陰で、これからは自分がやりたいようにやろうって思えるようになったんだ。
だから俺は河見さんを好きになったし、助けようって思ったんだよ」
「それ……微妙に好きとは違うんじゃ?恩義を感じてるだけでしょ」
うん、違う。
つまりこいつは、私が好きって訳じゃないんだ。
「恩義を感じてるだけ……か。本当にそれだけなら、こんなことするかな?」
「えっ──!?」
完全な不意打ち。
反応をする前に、押し倒されてキスをされた。
唇を重ねているだけ。
たったそれだけなのに、一気に心臓が加速して行く。
拒絶しようとしない自分が不思議だった。
何も考えられなくなる。
何秒か経って、史乃は私から離れた。
息が荒い。
呼吸することすら忘れていたみたい。
「なん──」
「本当はね?もっといろいろやりたいんだ。俺も一応、全人口の1/5に当てはまってるからさ。
ヒノン教の思想なんてどうでもいい」
なっ──史乃、あんた……。
「でも──やることはないだろうね。俺は、河見さんにメールを送ったような連中とは違うから。
河見さんが嫌なら求めないし、望まない」
「……メールのこと知ってたの?」
「うん、男子の携帯をチラッと見たら、そんな内容のを送信してたからね」
……ふぅ。
驚いたけど……いいや。
史乃は嘘をつかない。
だから、安心して信頼出来る。
こっちのこと、ちゃんと考えて行動してくれている。
「判った。あんたが私のこと好きっていうのは信用する……でも、さっきみたいな不意打ちのキスは今後禁止」
「了解。っと……もう深夜一時か。そろそろ寝よう」
「そうだね──あ、史乃。私のこと、あんたの家族にバレたらどうしよう?」
「バレないよ」
自信たっぷりに、史乃はそう断言した。
「どうして?」
「母さんと姉さんはもういないし、親父は気まぐれに連絡をよこすだけで帰っては来ない。
家政婦さんとかも雇ってないし、この家にいるのは俺と河見さんの二人だけだから」
「そうなんだ……あ、それと──」
これだけは言っておこう。
「ん?何?」
「私のこと、河見さんじゃなくて紗英って呼んで。彼女なんだから」
その言葉を聞いて、史乃は目を白黒させた。
……そんなに変なことかな?
「判った……じゃあ、俺のことも洸って呼んでね。彼氏なんだから」
うわ……そう来たか。
恥ずかしくて言える気がしないなぁ……。
「まぁ……気が向いたらね」
「うん。それじゃ、おやすみ。紗英」
後ろ手を振りながら、史乃は部屋から出て行った。
「おやすみ……」
言わない。
洸、だなんて言える訳がない。
………………まぁ、本当に気が向いたときにだけ言うことにしよう。
それが最大限の譲歩。
……寝よう。
ベッドが私を呼んでいるから。