いつの間にか、家に帰っていた。
帰宅途中の記憶が欠落してるみたい。
ブー、ブー、ブー......
携帯のバイブ音。
そういや、最近はずっとマナーモードにしてたっけか。
このバイブは……電話?
携帯を開いて画面を見る。
そこには「永瀬 恋」と表示されていた。
通話ボタンを押す。
「……もしもし?」
「あ、紗英?あのね、さっきは話しかけれなくて──」
「電話、してこない方がいいよ。他の人にばれたら、恋たちまで私と同じ状況になるかも」
「え……?」
途惑ってるような声。
でも、これは本当のこと。
感染る、とまで言われたのだから。
まるで小学校の頃にあった虐めのよう。
ううん、これは実際にただの虐め。
ただ、規模がクラス単位とか学級単位じゃなくて、社会という非常に大きな枠の中というだけ。
やってることは小学生の虐めと一緒なのだから、当然虐められてる子を庇おうとした子も同じ目に遭う。
被害は増やしたくない。
増やしてはいけない。
「ううん。電話だけじゃなくて、これからは私と関わり自体を持たない方が良いと思う」
「そ、そんな──」
「あーもう、うざったい。ちょっと恋、変わって」
電話の向こうで、亜紀の声が聞こえた。
一緒にいるのかな?ちょうどいいや。
「もしもし、紗英。あんたね──」
「亜紀。さっき恋にも言ったけど、これから私に関わろうとしないでね」
「っ──」
息を呑む声。
「本気で──言ってる?」
「うん。それと、今授業中のはずだけど、いいの?電話なんかしてて」
「気分悪いって言って、恋と一緒に保健室行くふりしてトイレ来てる。
だからこっちは平気。それより問題は──」
「そっか、じゃあ切るね。頑張っ──」
「ちょっとはこっちの話を聞けっ!」
亜紀が叫んだ。
耳がちょっと痛くなるような大声で。
こちらにも簡単に聞き取れるくらい、息を荒げている。
もう……ほっといてくれればいいのに。
「……怒鳴ってごめん。今一番辛いのはそっちなのに……」
「別にいいよ。それで、話って?」
「うん……みんなの見る目が変わっても、私と恋だけは別だから──。
紗英が関わらないでって言うなら、私たちからは関わらない。
でもね?もし紗英が、私たちのこと必要だと思ったなら──連絡して……待ってるから。
それだけ。ホントはもっといろいろ言いたかったけど、あんまり馬鹿なことそっちが言うから言う気失せた。
だから、耐えられなくなる前に……連絡してね」
──。
そっか……みんなが変わった訳じゃなかったのか。
これなら、まだ耐えていけるかも。
「ん……ありがと。それじゃ、バイバイ」
電話を切った。
恐らくは、生涯最後の電話。
亜紀はああ言ったけれど、やっぱり連絡する訳にはいかない。
でも、さっきの言葉で大分救われたのは事実だった。
どっちにしろ一人で生きていくつもりだったけれど。
少なくとも、あの二人だけは他の人のような目で私を見ないことが判った。
それに、いざとなれば相談出来るという余裕が出来る。
その余裕があるとないでは、今後の生活に差が出るだろう。
でも、相談は最後の命綱であり、諸刃の剣でもある。
一度握ったら、二度と放すことの叶わない命綱。
一度でも相談をしたら、多分それからもこまめに相談することになる。
止めようと思っても不安で止めれない、まるで麻薬のような存在。
この状態から人の安らぎを感じたら、その先は一人では生きていけなくなる。
それをすれば、亜紀と恋に多大な迷惑をかけるだろう。
いずれ誰かにバレて、亜紀と恋が同じ状況に陥る。
だから、連絡は出来ない。
ブブブブブ......
……またバイブか。
今度はメール。
見たこともないメールアドレスからのメールだった。
内容を見て──愕然とした。
「俺とエッチしませんか?」
冗談じゃない。
まぁ確かに、ちゃんとしたヒノン教信者は少ない。
でも、エッチ=穢れた行為ということはもう全世界共通の認識みたいなもので、
ましてや自分から「エッチしましょう」なんてあり得ない。
興味本位か、本気なのか、ただの嫌がらせなのか。
……どうでもいいや。
相手をする気も起こらない。
ブブブブブ......
またメール……。
今度は
「昔の方法で子供を作って、ヒノン教をあっと言わせましょう」
と書いてあった。
遠回しだけど、結局はさっきのメールの内容と大差ない。
ブブブブブ......
またか……。
今度は題名に「子作りに興味ありませんか?」って書いてある……。
内容なんて読む気にもなれずさっきの二つと一緒に消去。
こう立て続けにメールが来るってことは、メールアドレスが流出してるのかもしれない。
ブブブブブ......
あ〜もう、ウザイ。
題名すら見ずに放置。
ブブブブブ......
──。
このままじゃアドレスを変更している間にでも、軽く十通くらいは超えそうだなぁ。
とりあえず、五通目が来る前に電源をOFFにした。
……はぁ。
さて、今後はどうしよう。
学校なんて行ける訳がないし……働くのもバイトですら難しそう。
パソコンの技術を身につけて家で働くとか……ダメか、そんなこと出来そうにないし。
家で出来る仕事……内職?
うーん……あんまり稼げないけど……この際贅沢は言えないか。
内職だけをしつつ、引き籠もりのような生活を送る。
無理じゃない──よね?
ふむ……それじゃしばらくの方針決定か。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
やることもなく、しばらくの間ベッドの上でボーっとしていると──。
ガチャ。
唐突に、ドアが開けられた。
姿を見せたのはお母さん。
二日ぶりかな?
顔面蒼白といった感じで、全力疾走をしてきたかのように息を切らしている。
「呪われた子って……生理ってどういうこと?紗英」
あぁ、そういえば親には言ってなかったっけ。
なるほどね。
仕事帰りに近所の人と出会って、その噂を聞いたってところか。
噂の回りが早い。
多分ヒノン教は学校だけでなく、そこらにある掲示板などにもあのプリントを張ったのだろう。
熱心なことで。
「そのままの意味。私が生理になったから、呪われた子って呼ばれてるだけ」
「こ、これを見なさい!」
震える手で、お母さんは数枚の紙をこちらに突きつけてきた。
その紙には汚い文字で
「呪われた子、死ね」
だの
「立場をわきまえろ」
だの
「この近所から消えろ」
と書いてあった。
「玄関に貼ってあったの」
うっわぁ。
金を返さない相手にヤクザがするような行為。
まさか、実際にお目にかかれるとは──。
と言っても、今回やったのはご近所さんたちだろうけど。
「どうして……どうして、私の生活をグチャグチャにしたの!?
せっかく今まで世間体を良い状態に保っていたのに、これじゃ世間体なんていう問題じゃないじゃない!」
今までになくヒステリックな声で叫ぶお母さん。
こんな状態になってまで世間体を気にして、全て私のせいだと言いたいらしい。
ホント、親だなんて信じられない……。
「別に私がグチャグチャにした訳じゃ──」
「黙って!言い訳なんて聞きたくないの。ああもう、まるで村八分されてるみたい!
信じられない…… た え居 れば」
……?
最後の言葉が聞き取れなかった。
小声でブツブツと独り言を言っている様は、まるで壊れたロボットだ。
「何て言ったの?」
「あ たさえ ければ……あなた 居な れば……
あなたさえ居なければ……あなたなんて、作らなければ良かった!」
……あ。
「返して、私の平穏な生活を返して!」
居なければ良かった……?
作らなければ良かった……?
そう言ってるのかな……。
うちは冷めた家庭。
だから優しい言葉なんて期待はしていなかった。
でも、ここまで完全に拒絶する言葉も──想像していなかった。
とりあえず、判ったことがある。
もうこの家には居られない。
家が無かったら、内職も出来ないか……。
何か……探そう。
生きるための方法を。