「でさ、弾のやつ、何て言ったと思う?『誰が乙女なんだ』だってさ、酷いと思わない?舞ー」
「そ、それはちょっと酷いかも……」
昼食の時間。花梨は昨日のことを舞に話していた。
自分が被害者になるように、自分に都合の悪いところは全てカットしてだが。
「何が『酷い』だ……言い終わる前に本気で首絞めたのは誰だ?おかげで、失神しかけたんだが」
勿論弾は、一方的な被害者になるのは気にくわないため、花梨が言ってないところを横から付け足しているが、
「それは少しやりすぎじゃないか?花梨」
「ふーん。司は弾の味方するつもりなんだ?」
口では、男よりも女に分があるらしい。
「い、いや……そういうつもりじゃないけど、客観的に聞いたら……な?」
「『な?』っじゃないわよー。舞も何か言ってやって!」
時々司がフォローを入れてくれるが、花梨は内容ではなく勢いだけでそのフォローを片っ端から潰していく。
「んーと……『口は禍の元』ってことわざもあるから……でも、花梨も司の言ったとおりやりすぎのような気もするし……
だから、今回はおあいこってことじゃ……ダメ?」
舞はといえば、とりあえず両方に非があるということで、この場を丸く収めようとしている。
手っ取り早くこの会話を終了させるには、二人が舞の意見に賛成するのが一番なのだろう。
弾も、この水掛け論を終わらせるのにはそれが一番だと判っていた。判っていたのだが
「それはダメだ。大体、人が親切にも負ぶってやったというのに、恩を仇で返したのは花梨だろう?」
子供のような意見が口から出ていた。
「あっ!全部私のせいって言いたいの!?純情で可憐なこの乙女に向かって!!」
「ああ!?どこの誰が純情で可憐な乙女だってんだ!」
「私に決まってるじゃない!」
「よく自分のことそこまで言えるな。母親の顔を見てみたいもんだ!」
「っ……私、帰る」
そう言い残して、自分の鞄を掴んで教室から花梨が出て行った後。
喧嘩をする前は騒然としていた教室内も、今ではしん、と静まりかえっていた。
クラス中の人々が、弾がどう動くのか静かにチラチラと盗み見ている。
しかし、弾はその視線を感じつつも、動く気は無かった。
すると、なぜか司が動いた。弾の肩に、ポンッと手を置いてクラスメートの視線を代弁する。
「追い掛けた方がいいと思うぞ……花梨に母親の話はダメなんだ。
知らなかったんだろうが……早めに謝っておけ」
だが、腹の虫が治まりきっていない弾は、司の言葉を無視。
司も、これ以上言っても無駄と悟ったのか黙りこくる。
横で舞が潤んだ瞳で司と同じことを訴えてくるが、それにも気付かないふりをする。
そんな状況で時が過ぎていき、昼休みが終わるまで後二分という頃。
弾は少し離れた位置に、微弱ながらも『力』が発現したのを感じた。
「っ!」
思わず立ち上がる。周りの人が驚いた顔をするが、知ったことではない。
『力』を感じるということは、ガーディアンか、〈トレイター〉がいるということ。
もし感じた『力』がガーディアンのものならまだしも、トレイターのものなら現状は最悪。
(クソッ……なぜ花梨の後を追わなかったんだ……)
格好つけたかったのか。それとも──。
自身を責め、後悔をしつつ、弾は走り出す。ヘルメスで花梨の位置の確認する時間すら勿体ない。
走って向かう先は『力』を感じた場所──花梨の家がある住宅街から少し離れた位置にある、山の中。
花梨は通学路の途中にある小さな商店街を歩いていた。
(お母さん……か。知らないんだよね……)
考えれば考えるほど虚しくなってきて、それに比例するように早足になる。
商店街を抜けて真っ直ぐ進めば、自宅のある住宅街に入る。
(帰ったら……寝よう。さっさと気持ち切り替えないと)
人混みを掻き分け、身体は自然と走り出す。
そして住宅街に差し掛かる直前。頭の中で突然、別の思考が生まれた。
(家はダメ。あの山へ……)
花梨はその思考に従って左折。山へと進む道に入った。
少し進めば、山を登る階段が見えた。
思えば、近所に住んでいるのに、この山のことはあまり知らなかった。
知っていることといえば、山の頂上には寂れた寺があるということ。
そして、人が滅多に来ないという二つのことだけ。
なぜこんな山に来たんだろう、という疑問が頭を過ぎる。
だが、その答えが導き出される前にまた別の思考が生まれた。
(左へ……)
先程の疑問を忘れて左を見れば、あるのは林。
こんな所を進んで何があるのだろう?という新たな疑問は生まれない。
頭の中にあるのは、ただ進まなきゃという使命感と、こういう場所はスカートでは歩きにくいなというシンプルな感想。
林の中を進んでいると、前方に人が二人見えた。
一人は身長145センチあるかないか位の小柄な、それでいてかなり存在感の強い少女。
艶やかなセミロングの金髪で碧い目の少女が身につけている物は、全て高価なものだと一目で判る。
指輪、ネックレス、ブレスレット、イヤリング、髪飾り。
シンプルながらもそれら一つ一つが光り輝き、少女の可愛らしさを引き立てている。
もう一人は身長160センチ後半くらいで、タキシードを着崩すことなくピッシリと着ている、穏やかな顔つきの老紳士。
ブラウンの目で髪の毛は白く、杖を持っているがその姿勢はしっかりとしていて、杖に頼っている様子はない。
二人に共通しているのは明らかに日本人ではないということ。
「You're
finally here……I've been sicking tired of waiting」(ようやく来ましたわね……待ちくたびれましたわ)
と、口を開いたのは少女。但し聞こえてきたのは英語。花梨は英語が嫌いで、更にリスニングが大の苦手。
勿論、本場の英語を聞き取ることなど出来るはずもなく、花梨はただ慌てる。
(ひゃあ……ど、どうしよう……英語なんて無理ー……)
しかし花梨の考えは老紳士の言葉で杞憂に終わる。
「お嬢様、ですから……」
聞こえてきたのはしっかりとした日本語。余程しっかりと勉強したのだろうか、外国人特有の訛りも無い。
「あら、やってしまいましたわね。まあ次からは気をつけますわ……さて、そこの貴女」
言って少女が指差したのは、花梨。
「名前、鈴木花梨。性別、女。身長、154cm。体重、41kg。スリーサイズは上から70,55,71。
秋野高校、女子バスケットボール部に所属。一年生ながらもレギュラーの座を得ている。
成績は中の下。友人関係は概ね良好。同クラスに幼なじみの斉藤 舞、司がいる……どこか訂正する場所は?」
(あれ……これって……)
突然のことで頭が回らなかったが、少女が言ったのは紛れもなく花梨のプロフィール。
(うそ……スリーサイズまで当たってる……ていうか、何で私のこと知ってるの?)
だが、花梨が口を開けてその疑問を投げかける前に、また少女が話し出す。
「そう、訂正は無いのね。それじゃあ、貴女に聞きたいのはこれだけよ……
貴女は弾様とどういう関係なの?」
質問をされた瞬間、トクン、と心臓が脈打つのを感じた。
なぜ、この少女は弾のことを知っているのだろう。いや、それよりも実際、自分は弾とどんな関係なのだろうか。
ただのマスターとガーディアンの関係?それとも……。
思い出されるのは、弾と出会った時から今日までの短い期間に感じたこと。
血まみれの弾を見た時に感じた恐怖。
この世の真実と自分は深い関わりを持っていると知った時に感じた不安。
適合者かどうか調べている時に感じた安らぎ。
弾が馬鹿なことを言った時に感じた怒り。
ヘルメスを思い通りに使えた時に感じた嬉しさ。
それら感情を思い出して考える弾との関係。
女の気持ちを全く考えない弾に、怒りを感じることは多くあった。
しかし、弾と一緒にいる時は共通して『何か』を感じていた気がする。
その何かがもう少しで判るという時、耳に入ってきたのはまたもや少女の声。
「ふうん……ただのマスターとガーディアンの関係なんですの。
まあそれだけならほうっておいても害は無いんで・しょ・う・け・ど……
勘違いされる方が多いことは教えておくべきでしょうね。勘違いがどんどんエスカレートするのはよくあることですし」
え……、と花梨は途惑った。こちらは何も話していないのにどうして話が進むの、と。
何かあるのかと思い少女の方を見るが、うっすらと微笑を浮かべているだけ。
(なんだか怖い……)
気まぐれで来ただけの場所なのに、なぜ待ち合わせをしていたかのように会ったのだろう。
しかも、少女は花梨のプロフィールを知っていた。
本人も最近知った、自分がマスターということさえも。
明らかに偶然などではない。
ノンシェイパーは人の姿にはなれないらしいが、この少女からはどこか危険な薫りが立ち込めていた。
老紳士はというと、先程から何か考え込んでいるような顔をして黙っている。
逃げるべきなのだろうか。今すぐ後ろを向いて走れば、逃げ切れるだろう。
老人は杖を持っているし、少女は華奢な感じがする。それに比べて、花梨はバスケットボールで足を鍛えている。
足はまだ少し痛いし制服のスカートを履いてはいるが、問題は無いはずだ。
だが、先程の少女の問いが決断力を鈍らせる。
どうするべきか、と考えているうちに、また少女が話し始めた。
「貴女は、弾様に適合者かどうか調べられている際、安心感のようなものを感じたはずですわ。
先に結論から言いますと、それは当然のことなんですの。
ガーディアンとはその名の通り、守護する者。
ガーディアンは適合者かどうか調べる際、自身の力を相手に送ることで調べますわ。
そのため力を送り込まれた相手は、不安や恐怖を感じる物から一時的に守護されますの。
不安や恐怖は、安心とは相対するもの。
ですから、安心感を感じるのは当然なんですのよ」
花梨は少女の言いたいことがよく判らなかった。
勘違い……?
安心感を感じて当然、というのがどうしたのだろうか。
確かに、安心感を感じて当然。というのは知らなかった。
しかしそれはただ知らなかっただけで、別に何か勘違いをしていたわけではない。
「ああもう……」
と、少女が突然顔をしかめた。
「何で判らないのでしょう……これだから理解力の乏しい人は……判りやすく説明して差し上げますと、
恋愛経験が殆ど無い人は、その安心感を恋愛感情だと勘違いをなさいますの。
ですから、今後もそんな勘違いをしないように、と忠告をして差し上げてるんですわ」
トクン、とまた心臓が脈打ち、ああそうか、と気がつく。
弾に感じていた『何か』は、恋愛感情なのだと。
気がつくと同時。
少女は更に顔をしかめて
「貴女……こちらの話を聞いていたんですの?それは恋愛感情などではありませんわよ」
「違う」
考えるより先に、言葉が出ていた。
「私が弾のことを好きなのは、そんな安心感があったからなんかじゃない」
「っ!……ジャック、『悪夢』を見せて差し上げなさい」
少女の言葉に、老紳士──ジャックの顔に驚きの色が浮かぶ。
「お嬢様……」「いいから早くなさい!」
少女はジャックの言葉を聞かずに叱咤を飛ばす。
それに対し、ジャックは一瞬何か言おうとするが……
止めて、小さく「申し訳ありません」と言い、杖を持っていない方の右手をゆっくりと花梨に向けた。
「さて……これから貴女に見せるのは、このままだとなってしまう未来ですわ。とくとご覧あそばせ」
逃げるべきだったのだろう。
だが、その前にジャックの右手が光を放ち──世界が変わった。
弾は走る。
学校を出てすぐに、また弱い『力』を感じた。感じた場所は先程と変わらない山の中。
急がねば花梨が危険かもしれない。
だから走る。
本気で走るために、今は昼間でも全く人通りのないところを通っていた。
まだ午後一時を過ぎたところなので辺りは明るいが、弾はまだあまり土地勘がない。
山に入ったらヘルメスの能力で花梨を探そうかと思っていた矢先。
タンッと軽快な音が聞こえた。音の聞こえた方を振り向くが、あるのは小さな家の屋根のみ。
だが聞き違いではない。恐らくは跳ぶ時の踏切音。
そして着地音がまだ聞こえないことから推測するに音を立てた何かは
(上!)
判断を一瞬で行い振り仰げば、それはいた。
逆光のため顔は判らないが、背丈から男だろうと予想。更にその男が両手で振りかぶっているのは薙刀。
狙いは弾しかいない。
弾は刀をヘルメスから出すか一瞬悩むが即却下。
理由としては、高い位置から振り下ろされる薙刀に刀身が耐えきれるか危うい上に、
十中八九、刀を構えるより先に薙刀で斬られるからである。
弾は回避を選択。アスファルトを思い切り蹴りつけ、進行方向を転換。左斜め後ろへと跳ぶ。
直後、鳴り響いたのはアスファルトの破砕音。
見れば、弾が進行方向を転換していなければいたはずの場所のアスファルトが、
中肉中背の男が持っている薙刀によって砕かれている。
「ふむ。流石にこれくらいはかわしたか」
男は笑顔で独り言を言うが、それに対して弾は舌打ちを一つ。
「トレイターか?もし違うなら去れ。俺は急いでいる」
「トレイターではない。だが、悪いが去ることは出来ないんだよ……お嬢様に足止めしろ、と命令されているのでね」
男の回答の中にあったお嬢様という名称。弾は、同じ名称の人物を一人だけ知っていた。
「お嬢様って……ウエンディか!?」
「そうだが」
弾は、予想していなかった事態に焦る。
敵ではないが、ウエンディが拘わったことで良いことがあった記憶がない。
「退け、もしどうしても退かないと言うのなら……」
「言うのなら?」
「無理矢理退けるまで!」
発言と同時にヘルメスから刀を取り出し、男に向かって走り出す。
下腹部から上半身にかけてを斬るために刀を右手で持ち、腰の左側から斜めに斬り上げる構えを走りながらとる。
炎を使わないのは、薙刀で刀を受けるのは難しいだろうという判断からである。
男の方はどういうわけか全く構えることもせず、こちらの攻撃をただ待っているように見える。
だから斬り上げた。しかし鳴ったのは金属音。感触は肉を断つものではなく、硬いものにぶつかった感触。
この時、弾は初めて気がついた。
男の持っている薙刀はただの薙刀ではなく、刃の部分から柄の部分まで全てが金属で出来ていて、
柄の部分には妙な窪みがいくつか付いていることに。
弾の刀は、その柄の窪みの部分で受け止められていた。
男はその状態のまま、弾に向かって斬りつける。
斬りつけるコースは、弾の首をはね飛ばすコース。
更に、刀は窪みにはまったままだったので、刀を持っていた腕が捻り上げられる形となり、
上がった右手が邪魔で回避と防御が出来なくなる。
すると弾は刀を一旦手放し右手を下げつつも、横からやって来る薙刀の腹の部分に、左手で掌底を真下から打ち付ける。
下からの衝撃を受けた薙刀は軌道がずれ、弾の頭上すれすれの位置を通り過ぎた。
男は攻撃を外した瞬間、薙刀の重さを感じさせぬ程の距離をバックステップで跳ぶ。
それと、弾が掌底の衝撃で薙刀から外れた刀を拾うのはほぼ同時。
「へえ……強いね」
と、突然男が口を開いた。
「そういえば、自己紹介がまだだったね。私の名はリチャード……重力の守護者(グラヴィティガーディアン)だ。
君が弱ければこの薙刀だけでやるつもりだったんだけど──仕方がない。私の『力』で君の動きを封じさせて貰うよ」
言い終えると、リチャードは右手の平を弾の方に向けた──瞬間。
弾の身体全体が急激に重くなった。
その重さは、刀を地面に突き刺さねば自分を支えきれない程の重さ。
「がっ!?これ……は……重力変化か……?」
「御名答。君の周囲2メートルに強力な重力場を作らせて貰った。戦うどころか、動くこともままならないはずだよ」
刀を杖のようにして辛うじて立っている弾は、リチャードの声を聞きつつ思考を巡らせる。
全ての『力』に言えることは、小さく弱い『力』よりも大きく強い『力』の方が扱いが難しく、体力の消耗が激しい。
普通の状況ならば、相手の体力が尽きるまでこちらが粘ればいいのだが……
恐らく今、花梨はウエンディと会っているし、『力』を感じた以上、そんな悠長なことは言っていられない。
ならばどうするか。
扱いが難しいものを扱うには集中力がいる。当然、集中力を乱せば力も自然と弱くなり──
(この重力場から脱出出来る……か)
思考がまとまると、相手の集中力を乱すために口を開く。
それと同時。先程までとは比較にならないほどの強い『力』を山の方から感じた。
「!?」
驚き、顔を見上げると、リチャードも驚いた様子で、こちらに背を向けて山を見ている。
チャンスだと弾は判断して
(今なら……)
地面に突き刺していた刀を一瞬で抜き、相手に向かって突く。
届く距離ではない──が、刀の先から炎を出した。
「穿て、炎槍!」
刀の先から高密度の炎の槍を撃ち放つ。
相手は驚いた表情のままこちらを振り向き──笑った。
支えを一つ失って倒れていく弾は、それを見て笑い返す。
(簡単にかわせると思って油断している……それじゃあこれでどうだ?)
「裂けろ」
弾の声に反応するように、炎の槍に十六の亀裂が入り、一本の槍が三十二本の矢に変わる。
「──!?」
それを見たリチャードの顔は、今度こそ驚愕の顔に変わった。
矢が全身に突き刺さる直前、リチャードは辛うじて得物の薙刀を高速で回転させ壁のようにした。
炎の矢は薙刀が起こす風によって勢いが弱まり、薙刀に衝突して消滅。
しかし、それでよかった。
リチャードが驚き焦ったため集中力が乱れ、重力場はまだ残ってはいるが、最初の三分の一くらいの重さになっている。
弾はその隙を見逃さなかった。
倒れそうな身体を無理矢理起こして、走る。
一歩……二歩……三歩目で、重力場から脱出。
ようやく元々の身体の重さに戻り、そのまま弾は走る。
リチャードは既に薙刀の回転を止めて、しっかりと構えていた。
弾は刀を横に一線させ、そこから炎を発射。更に後を追うように高く跳躍する。
それに対し、リチャードは軽く身を伏せて炎をやり過ごし、
真上から弾が振り下ろしてくる刀を防ぐために薙刀を頭上に構えた。
刀を柄の窪みの部分で受け止めて、先程の火の矢を防いだ時のように薙刀を回転させ、弾の身体を弾き、
相手の身体が壁か地面に叩きつけられたら、今度こそ重力場で動きを封じよう。
リチャードはそう考えていた。
さっきは突然槍が飛んできたり、槍が矢になったため焦って集中力を乱し、
そのおかげで弾を重力場から逃がしてしまった。だが、二番煎じは通用しない。
次に重力場で動きを封じれば、お嬢様からの連絡があるまで待機することくらい出来る、とも。
だが考えは一撃目から外れた。
弾は空中で刀と薙刀が触れる直前、刀を手前に引いたのだ。
一瞬、火花が散るがそれだけで、弾の身体と刀は地面に吸い寄せられるように落ちていく。
両足が地面に着くと、一瞬足を曲げて着地時の衝撃を緩和させ、
勢いを利用してバネのように足を伸ばし、刀をリチャードへと突き出した。
それは一秒にも満たない間に行われた。
リチャードは、薙刀を頭上に構えていて防御が出来ないため、身体を大きく捻ることで攻撃を回避する。
そして手首を回して薙刀で弾を斬ろうとした──が、既に弾が懐に飛び込んできていた。
直後。
感じたのは下腹部への鋭い痛み。
「っ……」
こちらを殺さないために峰打ちをしたのだろう。血が出ている様子はなかった。
リチャードは追撃をかわすため痛みを堪えて高く、後方へと跳躍する。
弾は後を追わずに、その場で野球選手のように刀をフルスイングしながら叫んだ。
「なぜウエンディの命令に従う!?」
刀から今までで最大級の大きさの、最大級の火力を持った炎弾が発射された。
炎弾は真っ直ぐリチャードへと突っ込んでいく。
「契約をしているのさ。お嬢様の『力』で私の失った記憶を取り戻して頂く代わりに、
私はお嬢様に服従するという契約をね!」
未だ空中にいるリチャードは、返答をしつつ炎弾の対応をした。
自分の真下の空間に、重力場を作るという対応を。
それによりリチャードの身体は真下に落ち、頭上を炎弾が通り過ぎた。
そして着地。だが、違和感がある。着地に、ではない。何もないことに違和感がある。
理由は前を見てすぐに判った。弾が刀を片づけていたのだ。
「どうした?諦めたのかい?」
リチャードが不審に思って声をかけると、弾は舌打ちをして
「違う。戦う必要性が無いことに気がついた」
「必要性が無い?どういうことかな?」
「リチャード。あんた、ウエンディに騙されてる」
数秒の空白。
リチャードは混乱していた。
(騙されている?誰が誰に?私がお嬢様に?何について?……契約について?)
思考がうまくまとまらない。しかし、口は開いていた。
「……根拠は?」
「GTS時代に、ジャックから聞いたことがある。記憶と精神とは別だから、記憶を作ったり取り戻したりは出来ない、と」
弾の説明を聞いて、リチャードは唖然とした。それでは記憶が戻らないではないか。
この十五年間ずっと、記憶を取り戻すために世界各地を放浪して、少しでも可能性があることにすがりついてきたのに。
だが、今まで何度もこんなことがあったからだろうか。
怒りは湧いてこなかった。感じるのは悲しさと精神的疲労のみ。
「なる程ね……確かに、それが本当ならば契約は成り立たない。戦う必要性は無いってことになる……か」
「……疑わないのか?俺を」
「よくあることだからね。君に着いていって、執事さんとお嬢様に本当のことを聞くよ」
弾は案外あっさりと決着がついたので少し拍子抜けしつつも、リチャードと共に山へ向かって走り出した。