今日は酷い一日になりそうだという花梨の予想は、見事に的中した。
朝、学校に行くや否や、質問の嵐がやって来たのだ。
「木下君とはどんな関係なのか」「なぜ、木下君を殴ったのか」「昨日、早退した理由は」等々……。
それだけで花梨には充分辛かった。
それだというのに、挙げ句の果てに
「花梨は木下君と付き合っている」「一昨日休んだ理由も、実は木下君と会うためだった」
「木下君を殴って早退したのは、痴話喧嘩をしたから」などという見当違いも甚だしい噂までが広まっていた。
それに加えて、昨日のことを弾は全然悪いと思っていない。更に、話し声については、聞いても全然教えてくれない。
というおまけがついていて、花梨の機嫌の悪さは最高潮に達していた。
「花梨、機嫌直してよー」
昼休みに、いつものメンバー──舞と司と一緒に教室で食事をとっていると、突然舞がそう言った。
花梨はすぐに返事はせず、鳥の唐揚げを親の仇とでも言うかのように噛み潰す。
「別に?機嫌悪くなんかないよ」
「悪いよう……ほら、人の噂も七十五日って言うし、こんな噂すぐ無くなるって──」
「ん?どうしたの?舞」
会話を突然切って、驚いた表情をしている舞。
何に驚いたのかと、その視線を追うと──弾がいた。
しかも左手にコンビニの袋をぶら下げて、堂々と花梨たちの方へとやって来る。
(呼び方については、昨日忠告したから平気だと思うけど……)
「花梨、一緒に食うぞ」
花梨は頭を抱えて小さく唸った。
確かに、呼び方は変わっていた。呼び捨てという悪い方向に。
そのせいで、教室全体がざわめいた。
「おい、聞いたか?」「呼び捨てとは……」「やっぱそういう関係だったんだ」「花梨……抜け駆けなんて酷い……」
「あーあ、彼には目つけてたのにな」「どこまで進んでるんだろ?」
耳が痛くなるような言葉が飛び交う。舞は苦笑いを浮かべていて、司に至っては関わらないのが一番と判断したようだ。
花梨は、弾を殴りたい感情を何とか押し込めて──逃げようとしていた、舞と司の腕を掴んだ。
「舞、司……どうして逃げようとするのかなー?」
本人は冷静に、笑顔で言ったつもりだったのだろう。
だが、見えない所で花梨が腹を立てているのが判っている二人は、冷や汗を滝のように流していた。
「い、いや、その……邪魔しちゃ悪いかなっと……」
苦笑いすら引きつらせて、舞が弱気に弁解をする。
「全然邪魔じゃないよー。だ・か・ら居てくれるよね?」
疑問口調だが、命令に近い意味を込めていたのを感じたのだろう。
二人ともコクコクと頷いた。
「花梨、その二人は?」
(あ、そっか。私以外は初対面だっけか)
弾の発言で初めてそのことに気がつき、花梨は手短に腕を掴んでいる二人を紹介をした。
「彼女は斉藤舞。彼は斉藤司。双子で、小学校からずっと一緒だった友達。
舞、司。これは木下弾。んっと……私の……従兄弟、そう従兄弟なんだ」
即興の嘘だとバレバレな言い方で花梨は言ったのだが、そこは長い付き合いの二人。
ちゃんと花梨の意図──これ以上は聞かないで欲しい、という願望をくみ取って、追及はせずに頷いた。
「ほむ……弾君って言うんだ?よろしくねー」
「よろしく、弾君」
愛想笑いを浮かべる二人に弾は
「よろしく」
と表情を全く変えずに無愛想な返事をした。
だが、二人ともそれを気にする様子も無く、お弁当を食べながら雑談が始まる。
雑談の内容は、昨日のテレビや勉強についてなどいつもと変わらない内容だった。
それから数分。普段なら会話がはずんで、楽しい一時──のはずなのだが、会話は全くはずんでいなかった。
勿論、その原因は弾にあった。
というのも、基本的に会話に参加せずに、自分に話がふられた時のみ「ああ」とか「いや」とか反応する程度なのだ。
そんな弾を気にしてか、舞が少し不安そうな顔で弾に問いかけた。
「あ、それじゃあさ、弾君にいろいろ質問していいかな?」
「ああ」
「じゃあ……何年何組?」
「一年三組」
(ぶっ!?)
思わず、花梨は口の中の物を吹き出しそうになった。
初めて会った時、弾は十八歳だと言っていたのだ。
十八歳ならば、高校三年か大学一年のはずである。なのに、弾は一年と言った。
つまり
(歳を誤魔化してる……)
嘘をつく理由は花梨には判らなかった。だが、その理由を考える前に思考が一瞬止まった。いや、止められた。
司の危険な質問によって。
「へええ、三組かあ。家はどこら辺なんだ?」
もし、これに弾が普通に答えれば──噂が、更に酷いものとなる。
だから花梨は、それは確実に避けたい、という一心から心の中で
(お願い嘘をつかせて、お願い嘘をつかせて、お願い嘘をつかせて)
と、存在自体を信じてすらいない神に繰り返し願い続けた。
「方角は花梨の家の方と一緒だが……それより遠い。越してきたばっかりだから、説明が難しい」
願いが叶った。
下校時、花梨は多少の疑問を抱きつつも、機嫌はかなり良くなっていた。
「なにニヤニヤしてんだ、気持ち悪い」
そう弾に言われても、大して腹が立たないくらいに。
「だって、弾が嘘をついてくれたんだもん。しかも、私が望んだタイミングで」
「ああ、そのことか……〈ヘルメス〉の能力さ」
「このネックレス?」
花梨が制服の下から取り出したネックレスを見て、弾は頷いた。
「そう。ヘルメスは二つで一つでな」
言って、弾は自分の制服のポケットから、花梨のと全く同じネックレスを取り出す。
「ヘルメスには三つの能力があってな、一つ目は強く望めばお互いの位置が判る。
二つ目はマスターの力を分け与える時に、これを中継して分け与える。
そして、三つ目。これが嘘をついた理由なんだが……強く念じれば、その思考が相手に送れる。
嘘をついてって連呼してたのが聞こえたんだよ」
「へえ……便利ー」
「ああ、だから、常にヘルメスを身につけておけ……特に今晩はな」
最後に、ポツリと消えそうな声で弾が言った言葉を、花梨は聞き逃さなかった。
(今晩……?そういえば、昨日の変な声も今晩〈ゲームスタート〉って……)
花梨は詳しく弾に聞こうかと思ったが、昨晩同様、聞いても教えてくれないだろうと思って止めた。
(そうだ、教えて貰えないなら、自分で突き止めればいいか……)
(そろそろかな?)
夜に弾がこそこそと家を抜け出してから、十数分が経過した。
(強く望めばお互いの位置が判るんだよね……)
花梨は下校時に教えて貰ったことを反芻しながら、心の中で強く望む。
強く望む、という意味が判りづらかったが、とりあえずひたすら弾の居場所が知りたい、と思うことにした。
すると頭の中に、上空からこの近辺を見下ろしたような地図が自然と浮かび上がった。
(すごーい……でも、弾の位置が判んないや……)
花梨がどんなに地図を見渡しても、何も見えないし感じない。
町自体は立体的なのだが、人や鳥、犬や猫といった生物が全く見つからない。
ここから弾の位置が判るとは、花梨にはどうにも考えづらかった──が
(弾がこっちの考えてることを理解したのは本当のことだし、不思議なことばっかり起こってるんだし……一応信じてみよ)
だが、その鳥瞰図は花梨が思っている以上に不思議なものだった。
突然、下降していくかのように見下ろす範囲が狭まったかと思えば、その後すぐに上昇を始めて、最初と同じくらいの高さになる。
そんなことが幾度となくあった後、花梨は何となく予想をつけた。
(集中すればするほど場所が特定されるのかな……下降することに驚いて気を取られたから、集中力が乱れて上昇した……
うん、筋が通ってる。そうと判れば集中集中っと……)
山勘だったのだが、それは正しかった。花梨がしっかりと弾の居場所を知りたいと思えば思うほど、どんどん下降をして上昇はもうしなかった。
やがて、視界は私有地である大きな空き地付近に固定された。
弾はここにいる。
そう判断した花梨は、家を飛び出してそこへと向かった。
幸い、それほど遠い場所ではない。
だが、時間は午後11時。辺りは闇に包まれていて、光源といえば道に一定間隔で置いてある街灯のか弱い光のみ。
道を進むのに問題は無いが、闇に包まれているという恐怖と不安が、時間や距離の感覚を狂わせる。
もう数時間歩き続けたのではないか。あるいはまだ一瞬しか経っていないのではないか。
そんな妄想に苛まれつつ、花梨はいつの間にか小走りになっていた足を止めた。
〈声〉が聞こえたからだ。昨日と同じ、声。
思わず声のした方へと走り出す花梨。
そして、走り出して数秒も経たないうちに、異様な光景を目の当たりにした。
何にも使われていない私有地で、弾が二つの闇と戦っている光景を。
一つは目が黄色く爪と牙が異常に長い、人並みの大きさの犬が立ったような姿。
もう一つは碧い目で尻尾が長く、丸太のような巨碗を持った熊のような姿。
それらは人には不可能なほど素早い動きで、弾を翻弄しており、
それと対峙する弾が両手で握っているのは、自分の身長の三分の二ほどの長さで、街灯の光を反射している銀色のスマートな日本刀。
「はは、どうしたんだい?弾君。君の自慢の刀、さっきから宙を斬るばかりじゃないか」
碧眼の軽い挑発に、弾はスマートな刀を振りかぶることで答える。
「調子に……乗るな!」
叫ぶと同時に、弾が打ち下ろした刀から炎が発射された。
鮮やかで、大きな紅い炎。
「きれ……い」
花梨は小さく、感嘆の言葉を漏らした。
それが自分の力ということに実感は持てず、魅入られたかのように炎を見つめる。
炎は刀の斬激と同じ形で、碧眼の眼前へと高速で迫る。
美しく、それでいて力強い炎。
だが、碧眼はすんでの所で全身を大きく捻り、炎を紙一重でかわした。
「あっぶねー。いきなり炎を飛ばしてくるから驚いちゃったよ、兄ちゃん」
「前はそんなことしなかったから……恐らく、昨日一緒にいたマスターが適合者だったんだろうな」
碧眼の呼びかけに、自分の見解で答える黄眼。
「二対一だからといって、炎を使えるのなら油断は出来んな……あの戦法でやるぞ」
黄眼のその言葉を最後に、突然二人(?)が掻き消えた──直後。
地面から碧眼の尻尾が突然出てきて、その近辺にあった街灯を片っ端から破壊した。
月光は雲に阻まれて地に届かないため、街灯が無くなったことで辺りは闇の世界に包まれた。
碧眼と黄眼の姿は全く見えない。
同様に、弾の姿も見えなくなった──が、
闇の中で黄眼の爪と牙が、碧眼の尻尾と巨碗が、四方八方から正確に弾を襲った。
スピード自体が変わった訳ではないのだが、姿を見ることが出来ないので、弾の反応がワンテンポ遅れる。
そのため少しずつだが、弾の足に、腕に、全身に傷が出来ていく。
「ぐ……ちっ……」
弾から攻撃しようにも、敵の姿が見えないからしようがない。
カウンターですら攻撃を受けてからになるので、刀を振るった頃にはもう近くにはいない。
(うわ……どうしよう……このままじゃ──)
花梨はコソコソと隠れながら現状を見ていた。
見ていた、と言っても、街灯が破壊されてからは何が起こっているのかは判らない。
ただ唯一判るのは、まれに聞こえる弾の辛そうな声から、弾が苦戦を強いられてるということくらい。
(姿が見えないから……見えればいいんだけど──そうだ!)
「弾!炎を出して!」
思いっきり叫んだ。声が、澄んだ夜気にとどろいていく。
叫び声が聞こえた。声のした方を振り向けば、なぜか花梨が佇んでいる。
炎を出せ──弾にはその真意は理解出来なかった。
(だが、この現状で何をしても、これ以上不利になるとは考えにくいか……)
とりあえず従って刀を右手だけで持ち、左手の五指からこぶし大の炎弾を、出鱈目な方向に撃ち放った。
当然当たらない──が、弾は理解した。炎を出す真意を。
「ハッズレー。可愛らしいマスターの言うことを聞いたって、僕たちには勝てないよ」
「それにしても、マスターを戦場に連れてくるとは……マスターに自身のかっこいい姿を見せたかったのかね?」
「キャハハハハ、そりゃあ残念、今回も弾君の負け確定だよ」
この馬鹿兄弟は気がついていない。
そのことに、弾は思わず顔をほころばせてしまう。
「さて……と、そろそろ勝たせて貰うよー」
そう告げるなり、碧眼が地を蹴る。
進行方向は判らない。だが、最後に声のした方向に炎弾を撃ち放つ。
碧眼は、真正面から突っ込んできていた。
弾との距離は残り五メートル。
膝を曲げて重心をしっかりと落とす。
残り四メートル。
左手を空に向かって突き上げて、炎弾を撃ち上げる。
残り三メートル。
両手で刀の柄をしっかりと握る。
残り二メートル。
碧眼に向かって、強く地を蹴る。
残り一メートル。
黄眼が、避けろ、と叫んだ。勘付いたのだろうが、それはもう遅かった。
すれ違った──直後。
「ギャアアアア!」
弾の後ろで悲鳴が聞こえた。
弾は胴を真二つに断ち切るつもりだったのだが、黄眼の叫び声に反応した碧眼が、身体をねじりながら腕で胴を庇ったので
──弾が振り向いた先には、右腕の無くなった碧眼が苦痛に顔を歪めていた。
「なぜ……僕の位置が判った?」
弾には答える義理は無い──が、口は開いていた。
「炎は熱だけじゃなく、光も生む。それが答えだよ……さて、止めだ」
「ククッ…なるほどねえ……だが、ちょっと詰めが甘いんじゃあないかい?」
「……どういうことだ?」
「こういうことさ」
声は、後ろから聞こえた。
振り返ると、黄眼が爪を花梨の首筋に突きつけていた。
「弾、ごめーん」
花梨は冷や汗をかきつつ、苦笑いを浮かべている。
話しかけてきたのは、時間が欲しかったから。
何をするための時間か、弾は今それに気がついた。
形勢逆転されてしまったことを理解して動けなくなった弾に、碧眼が嘲笑うような声である提案をした。
「大事な大事なマスターを護りたいんなら、僕のリンチを受けてよ。そうすれば、マスターのことは考えてあげてもいいよ」
(……嘘だ。俺を殺した後に、必ずマスターソウルを奪うんだろ……)
従ってはならない、と弾は理解していた。
今後のことを考えれば、マスターを犠牲にしてでも戦うべきなのだ。
弾はそれが判っていた。判っていたのだが──拒めなかった。
弾本人でも、理由はよく判らなかった。ただ、何となく嫌だったのだろう。
だから、弾は武器を捨てて棒立ちになった。
「そうそう。物分かりがいいねえ……それっ」
碧眼の鞭のような尻尾が、弾に襲いかかる。
パンッパンッパンッ……
音が鳴るたび弾の服が裂け、鮮血が迸った。
そのたびに、弾の顔が苦痛に歪む。
「弾!私のことは気にしないで逃げて!」
花梨は弾のあまりに痛々しい姿を見ていられなくなって、叫んだ。
花梨の目には涙が貯まっている。
すると、弾が打たれる音が止んで──笑い声に変わった。
「キャハハハハ、人間の女ってのはみんな同じこと言うんだね」
「クックック……自分が一番危険な状態ということを、理解していないのかもしれん」
何のことか、花梨にはよく判らなかった。
だから、弾の方を見ると──凄く辛そうな顔をしていた。
「アイツも……そう言ってたのか?」
震える声で弾が言うと、一瞬だけ笑い声が止んで──また兄弟は笑い出した。
「これはいい。君が護れなかったマスターの最期の言葉を聞けなかったのか?」
花梨は耳を疑った。弾がマスターを護れなかった?
「嘘だよね?弾。こいつらの作り話でしょ?」
数秒間を開けて、弾は──黙って首を横に振った。
顔は先程よりも辛そうで、悲しそうだった。
「キャハハハハ、新しいマスターに教えなかったのか。ま、そりゃそうだよねえ?
動けなくなるくらいの傷を負わされて、目の前でマスターソウルをゆっくりと奪われたんだもん。
しかも、死ぬ直前のマスターの言葉が、逃げて、だ。
護るはずの女にそんなこと言われるなんて、情けなくて誰にも話せないよねー」
弾の身体は怒りからか悲しみからか──震えていて、碧眼が一言発するたびに、それは大きくなっていった。
動けなくなる。
傷。
目の前。
マスターソウル。
ゆっくりと。
奪った。
断続的に花梨の耳に入ってくる単語。
だが、それからでも何があったのかを想像するのは容易だった。
その時の弾の心情を考えると
「最低……」
言葉は自然と花梨の口から出てきた。
「最低?そりゃどうも。僕たち兄弟にとって、それは最高の褒め言葉だよ」
「さて……弟よ、そろそろ弾君にも構ってあげなさい」
「おっとそうだね、僕の腕を斬り落とした罰を与えないと……そらっ」
パンッパンッパンッ……
再度響き渡る、尻尾が弾を打つ音。
その音が示しているのは弾の苦痛だけだ。
だが、自分の身体を傷つける尻尾を避けようともせずに、弾はなぜか笑いながら
「逃げれる訳……ねえじゃねえか……マスターを護る。俺は、その使命を今度こそ成し遂げるんだ……ガーディアンとして。
次にマスターを奪われる時は……俺の命が尽きる時だ!」
と言った。
今度は誰も笑わなかった。
「……それじゃあ、そろそろゲームを切り上げよう。弟よ、弾君の望み通りに止めを刺してあげなさい」
「オッケー、兄ちゃん。弾君、これ避けたら、君のマスターがどうなるか判るよねー?
君が前に味わった体験に似た体験を、君のマスターにもして貰おうよ。キャハハハハ」
弾と似た体験。
それはきっと、目の前で殺されるということだろう。
(そんなの……嫌)
だが、この状況で花梨に一体何が出来るのだろう?
弾を助けるどころか、人質にされてしまっているではないか。
そのせいで、弾が窮地に追いやられているのではないか。
この場に来なければ、こんな状況にはならなかったのかもしれない。
考えれば考えるほど、花梨は後悔の念にかられていった。良い考えなど、何一つ浮かびはしない。
そうこうしているうちに、碧眼の尻尾は槍のように鋭くなっていた。
黄眼は、花梨の首筋に爪を突きつけつつ、ニタニタと笑みを浮かべている。
弾は、覚悟を決めたかのように全く動こうとしない。
それらを見た瞬間、
(弾が……死ぬ?……死ぬ……死ぬ……死……死……死……シ……し……しぬ……シヌ……ダンガ……シヌ)
頭の中で、同じ単語がぐるぐると廻り出す。
(い……や……)
花梨の心臓の鼓動が大きくなり、目の前に霞がかかったかのように全てが見にくくなる。
「それじゃ、僕の腕を斬った罰として、串刺しの刑。三秒前ー」
それほど遠くないところからの声が、かなり遠くで聞こえているような感じがした。
(いや……)
花梨の身体の中にある『何か』が、溢れ出そうになる。
「二秒前」
「いや……」
溢れたらどうなるのか、そんなことはどうでもよかった。
花梨はただ、弾に死んで欲しくなかったのだ。
「一秒前」
「嫌ー!」
だから花梨は溢れさせた──途端、視界が紅蓮の炎に包まれた。
いや、身体全体が火柱によって包まれていた。
花梨の後ろにいた黄眼は、悲鳴もあげずにただただ燃えている。
闇が炭になっていく訳ではない。
だが、炎に包まれて少しずつ消えていく姿は燃えている、以外に言い表しようがなかった。
しかし、花梨にとってその炎は全然熱くなかったうえに、自分自身や自分が今着ている服も、全く燃やしていなかった。
「そんな!?〈ピキュリアー〉だなんて……兄ちゃん!」
火柱の外から驚いた声で碧眼が叫ぶ。
しかし、呼んだ相手はもう燃え尽きて、跡形も残さずこの世から消え去っていた。
そして、碧眼が火柱に注意を逸らした時、弾の行動は素早かった。
先程捨てた刀を拾い、碧眼に駆け寄る。
足音でも聞こえたのか、碧眼が弾に振り返る──が、その時には既に、碧眼の身体は上下真二つに断ち斬られていた。
地に倒れた闇の下半身が、宙を舞っていた闇の上半身が、自分を包んでいた火柱が、
霧散していくのを見つつ──花梨の意識は、闇へと落ちていった。