鈴木花梨は高校一年生だ。
入学当初は殆ど友達がいなかったが、五月に入ってからは友達と呼べる人も増えてきていた。
一人っ子で、母親は五歳の時に死んでいる。
また父親が単身赴任のため一人暮らし。彼氏は欲しいとは思っているが、まだいない。
学校では明るくて元気な子と思われていて、成績は中の下。
ある日、そんな彼女が学校へと向かう途中。
花梨は十数メートル先から、自分の方へと歩いてくる異様な少年を見た。
綺麗に整っている顔立ち。身長は自分とあまり変わらないくらいの小柄な少年。
それだけの少年ならば、探せばすぐ見つかりそうなのだが──。
異様なのは、着ている服の所々が裂けており、全身が血まみれという点だった。
普通の人間ならば、死んでいてもおかしくない程の出血。
それにも拘わらず、しっかりとした足取りで歩いてくる少年。
異常な光景を見た花梨は、悲鳴をあげてその場から離れようとしたのだが──
恐怖で足がすくみ、声も思うように出なかった。
「お前……家は近いのか?」
たった数瞬、声変わりしたてのような少年のその言葉が、自分に向けられて発せられたものだと気付くのに要した時間。
しかし、その短い時間の間に少年は目前に迫っていた。
「え……」
突然の質問にうろたえる花梨。
少年はそんな少女を苛立たしげに睨んで、急かすように同じ質問をする。
「家は近いのか?」
「は……はい」
答えなければ自分の身が危ないと思った花梨は、恐怖で震えている声を何とか搾り出す。
花梨の返答を聞くや否や、少年は態度を一変させ最敬礼をして一言。
「三日……いや、一日でいい。家に泊めてくれ!」
「……はい?」
普通、初対面の人には言わないような一言を聞いて、花梨は驚きを隠せなかった。
「頼む!極力迷惑はかけないようにする!」
(どうしよう……家に連れてけって言ってるんだよね……子供とはいえ男の人を家に?パパもいないのに?
でも……血まみれだし、大怪我してるのかも……それに、変なことするなら、こんな遠回しなことしないよね……)
「判った。こっちに来て」
悩んだ末の結論を短く言って、花梨は家に向かって走り出す。
いきなり走り出した花梨に多少途惑いつつも、少年は花梨を見失わないようについていった。
橋を渡って住宅街に入り、三分も経たないうちに、花梨は小さめの二階建ての家の前で止まった。
家の表札には「鈴木」と書いてある。
「ここか?」
「うん。そんな姿、誰かに見られないうちに早く入って」
花梨は家に入ると玄関のドアを閉めて、一息ついていた少年に今まで敢えてしなかった質問を投げかけた。
「あなた、名前は?血まみれだけど、救急車とか呼ぼうか?っていうか、あなたみたいな子供に何があったの?
家は?家族は?」
質問を一つするたびに少し唖然としつつも、少年は淡々と全ての質問に答えていく。
「名前は木下弾。傷は負っているけど、もう殆ど治りかけだから気にする必要はない。
それと俺はお前が思っているほど子供じゃない。十八歳だ。
何があったかは知らない方がいいが……一応泊めてもらう身だ。どうしても知りたいなら後で教える。
家はあるがずっと遠い所だ。家族は多分まだ生きてるだろ。
それより、風呂貸してくれないか?この血落としたいからな」
言っていることはどこか怪しいけど、嘘はついていない。それに、悪い人じゃない。
直感でそう感じた花梨は、とりあえず弾を風呂場に案内し、父親の部屋から服を持ってくる。そして
「服、ここに置いとくから」
とだけ告げて、リビングへと向かった。
リビングで椅子に座り、何となくテレビニュースを見ること十数分。
やって来た弾が父親の服を着ているのを見て、花梨は思わず失笑してしまった。
本人も自覚しているのだろう。顔が真っ赤である。
というのも、花梨の父親は標準より少し大きいくらいの体格なのだが、
弾は花梨が年下と勘違いしてしまう程、小柄なのである。
まだそれだけなら『小柄な男が大きめの服を着ている』くらいに見えるのだが、それに加えて弾は童顔。
それ故に『子供が背伸びしてぶかぶかの大人の服を着ている』というふうに見えてしまう。
ここまで来ると、最初に弾を見た時の『怖い』というイメージは花梨から吹き飛んでいた。
「ふ……服がデカいんだよ!もっと小さいのは無いのか!?」
更に顔を真っ赤にして文句を言う弾に、花梨は吹き出しそうになるのを堪えつつ、テレビを消して言い返す。
「あなたが小さいんでしょ。それに男物の服はパパのだけだから、それより小さいサイズのは無いかな……
あ、それよりさ、さっきの続き聞かせてよ」
さっきの続き。その言葉を聞くと、弾は急に真面目な顔になり、花梨の向かい側の椅子に腰をかけた。
「先に一つ言っておく。これから話すことは、真実だ。
しかし、殆どの人々は俺の言うことを戯れ言だ、作り話だと言うだろう。それでも聞きたいか?」
「うん」
躊躇わずに頷いた花梨を見て、弾は仕様がないという風に説明を始める。
「この世には、影の世界の住民〈姿無き者〉という奴らがいる。
こいつらは、全てを〈混沌〉に還すことが使命だと思っている」
意味不明の言葉の数々。
確かに殆どの人々は、こんなこと戯れ言だと言うのだろう。
目を丸くしている花梨を気にせずに、弾は説明を続けた。
「全てをカオスに還すためには、〈支配者の魂〉を数多く集める必要があるんだ。
俺ら〈守護者〉はそれを防ぐために、先に〈支配者〉を見つけて護っている」
「ち、ちょっと待って」
弾の説明の意味がよく分からなくなってきた花梨は、説明を遮って疑問を口にする。
「ホントに〈ノ……ノ……ノンシーパー〉なんているの?それに、カオスって何?
あと、マスターソウルを数多く集める?マスターがいっぱいいたら、マスターにならないでしょ。
大体、なんでガーディアンはノンシーパーの目的の妨害をするの?」
弾は質問ばかりする花梨を物珍しそうに見ながらも、出された全ての質問に丁寧に答えていった。
「〈ノンシェイパー〉だ。最初の質問の答えは、最初に言っただろ。全て真実だ……と。
カオスっていうのは『何もない空間』のことだ。水も大地も空気も……光すらない空間だな。
次に、マスターってのは何も世界の支配者ってわけじゃない。
例えば、風の支配者とか水の支配者って感じに、
支配できる物が大雑把に限られている。
これで複数いる理由が判るだろ?ガーディアンがノンシェイパーの妨害をする理由は……判るな?
全てをカオスに還すということは、世界の破滅を意味する。それを防ぐためだ」
弾は少しだけ──花梨に興味を持っていた。
今まで弾はいろんな人に同じ説明をしてきた。
大抵の人は、この説明をここまで進める前に戯れ言と決めつけ、それを真面目に説明する弾を気違いと判断し、
早々に家を追い出そうとする。
この話が真実と理解した人でも、質問をしてきた人はいなかった。
だが、今目の前にいる少女は、話したことが真実だと理解して更に質問をしてきている。
(珍しい……が哀れだ)
「あ、それじゃあ、次の質問いいかな?」
真実を知るには覚悟がいる。
知らない方が幸せなことも、この世には多いのだ。
真実を知ったが故に、その真実に怯えて今後を生きる者も少なくはない。
それを
(お前は──理解できてないのだろう?)
「駄目かな?」
構わない……そう言おうとした弾は、花梨の目を見て驚いた。
花梨の目には、真実を知らされたにも拘わらず恐怖の色が全く映っていない。
実感が湧いていないだけなのかもしれないが、出会ったときの弾の姿からある程度は想像出来るはずだ。
しかしながら、花梨の目に見えるのは好奇心だけだった。
「べ……別に構わない」
「やった」
弾の許しをもらうと、何が嬉しいのやら無邪気に喜ぶ花梨。
「えっとねぇ……マスターって決まったものを支配出来るんでしょ?どうしてその力で自分を護らないの?
それに、ノンシェイパーやガーディアン、マスターっていうのは人間なの?
あと、怪我した理由。まだ聞いてないよ」
(本当に珍しいな……)
心の中で、弾は更に驚きの声をあげていた。
花梨の質問には遠慮がない。
もっと知りたい──というような気持ちのみで、質問されている感覚すらある。
「ノンシェイパーは異形だ。いろんな姿になれる──といっても人にはなれないがな。
そして、人間の持つ能力を軽く凌駕する。勿論、人間ではない。
ガーディアンもまた人間ではない。姿は人間だが、持っている能力はノンシェイパーとほぼ同等。
そしてマスター。これは人間だ。
自分の力で自分を護らない理由はここにあって、マスターソウルの力は強すぎるために人間には扱えない。
……今後質問されそうなことも先に言っとくぞ?」
一旦区切り、花梨の返答を待たずに弾はまた話を再開する。
「マスターはガーディアンに〈力を分け与える〉ことが出来る。
でも、これは〈能力の適合者〉にしか出来ない。相性があるんだ。
そして力を分け与えて貰ったガーディアンは、マスターの力の一部分を扱うことが出来る。
ガーディアンは人間じゃないからだ。
一人のマスターにつき、適合者のガーディアンが一人護衛につく、それが通常の形になる。
本題の俺が怪我をした理由は、俺は適合者を探しているときにノンシェイパーに襲われたんだ。
それで戦って負けた。それだけだよ」
嘘はついていないが、全てを話したわけではない。
(全てを話す必要はない──よな?)
数秒。静寂がその空間を支配する。
「じゃあ……さ」
静寂を破ったのは、もう無いだろうと思っていた花梨の質問。
「ガーディアンやノンシェイパーは、どうやってマスターを捜してるの?」
弾はその質問には答えずに、貸してもらっている花梨の父親のシャツをおもむろに脱いだ。
「!?」
危険なことをされるのではないか、と花梨は一瞬身構え──花梨の視線は釘付けになった。
弾の身体には無駄な贅肉などなく、引き締まったその身体にはいくつか傷が残っている。
その中には半分治りかけの傷もある。
そんな痛々しい身体の中心に、一つの刺青のようなものがあった。
「この〈紋章〉に力を込めれば、マスターまで導いてくれる……見せてやるよ」
そう言うなり、冥想をするように弾は静かに目を閉じた。
すると、クレストから徐々に光が溢れ出て、その光が花梨の胸の中心に集結していく。
「ち……ちょっと、これ何!?」
花梨の驚きの声がしたので、弾は怪訝な顔をしつつも少しずつ目を開けた。
そんなに驚くことか?──喉まで出かかった言葉を飲み込んで、弾は花梨が言いたかったことを理解した。
クレストの光が導いたのだ。想像以上に近くにいたマスター──花梨まで。
「お前が──ねぇ……俺の適合者かどうか調べるぞ」
花梨は動揺していた。
朝、いつものように学校に行く途中で血まみれの男を見つけて、一泊させるって理由で家に連れてきた。
そして、世界の真実を教えられた。そこまでは問題は無かった……いや、むしろ楽しかった。
しかし、弾の身体にあるクレストが放った光が、自分の胸に集まったとき──説明を受けるまでもなく実感した。
さっきまで話されていたことは、自分と深い関わりがあることなのだということを……。
自分がマスター──それの意味することは、今後、いつ、どこでノンシェイパーに襲われてもおかしくないということ。
そのことを悟り、急に恐怖が訪れた。
全身が震える。
口を開けても、言葉を発することが出来ない。
そんな花梨の肩に、優しく『ぽんっ』と弾の手が置かれた。
そして間髪を容れず、その手から何か〈暖かいもの〉が少しずつ流れ込んできて、体内に染み入っていく感覚。
花梨にはそれが何かは判らなかったが、何をしているのかは理解出来た。
調べているのだ、適合者かどうかを。
自分の中で、それが自分と一つになるような感覚。
その感覚は恐怖を和らげて、花梨に安らぎを与えてくれた。
──何か暖かいものが流れ込み始めて、どれくらい時間が経ったのだろう。
もう恐怖は消え去り、心は安らぎに満ちていた。
(こんな気持ちが永遠に続けば……)
一瞬──本当に一瞬だけ、そんな期待が胸を過ぎる。いずれ終わりが来ることは判っているはずなのに……。
これは、弾が適合者かどうか調べているだけなのだから。
しかし、花梨はこんな安らぎを感じたことは今まで一度も無かった。
仲の良い友達と一緒にいる時より、落ち着いているのが自分でも判る。
(なぜ……?)
自分に対する疑問。
だが、その答えが出る前に──暖かいものが逆流を始めて、身体から抜けていった。
入ってくる時よりも、かなり早いペースで抜けていく。
花梨は、今度はそのことに喪失感を覚えていた。
自分を埋めてくれていた、〈何か〉が抜けていく感覚を感じつつ、花梨は覚醒していく。
いつの間にか閉じていた目を開けて、弾の顔を見た時──先ほど感じた喪失感は一気に薄れていった。
弾は、花梨が目を開けたのを確認すると
「適合者だった。あと、お前が持っている魂が支配出来るのは『炎』だ。
つまり、お前は『炎の支配者』だ」
と判った真実だけ、手短に伝えた。
「適合……したの?本当に?」
「ああ」