「じゃあな、ご主人」
そう言って、今まで俺に仕えてきた風の精霊は消えた。
勝手気ままな奴だった。
祖父とギャンブルをして、負けて百年間仕えさせられていたらしい。
ギャンブルの内容は、そのジンに「はい」と言わせること。
賭けたのは、祖父は持っている宝石全部。
ジンは自分を百年間、というものだった。
どういう方法で「はい」と言わせたのか、それは俺は知らない。
まぁとりあえず祖父は勝ってジンを仕えさせ、ついさっき契約期限の百年が終わったのだ。
いなくなって寂しい訳ではないが、これからは少々不便になる。
今までジンに押しつけていた面倒なことを、全て自分でやらなければならないのだ。
「ったく……代わりを今日までに見つけられなかったのは痛いな」
……はぁ。
とりあえず明日は学校だ。
そして、学校が終われば三日休みが続く。
その間に、代わりを見つけないと。
大会が近いってのに……ついてない。
今は……深夜の一時か。
そろそろ寝るか。
夜更かしをしすぎると、明日の行動に支障が出る。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……朝か」
目を開く。
時間はいつもと同じで七時十分。
余程疲れていない限り、この時間より遅く起きることはない。
ついでに二度寝も出来ないんだから、長所というか短所というか……。
癖になったものはどうしようもないな。
朝食はいつも適当。
というより、食事自体がいつも適当だ。
食事などただの栄養補給なのだから、味はあまりに酷い場合を除いて気にしない。
このことを人に話すと、大抵みんな驚く。
何故だろうか……大したことでもないというのに。
──着替えるか。
「来たれ 制服 我が命によりて 我が手元に舞い降りろ 引寄」
低級魔術の一つ、モンクルス。失敗なんてあり得ない。
現に正しく発動して、クローゼットから制服が飛び出してきた。
俺はそれをキャッチして、そのまま無駄な動作なく着替える。
しかし……モンクルスを使うたびに思う。
詠唱の中に『制服』という単語を使うのは格好悪い、と。
呼び寄せる物の名を入れる必要はあるが……他に言い方はないのか?
人前で使うのに抵抗が出るぞ。
……よし。
さすがに四年も同じ制服を着ていると、着替えるのも早い。
次は食事だが……食料庫には何があっただろうか。
肉……朝から食う気にはなれないな。
野菜……良い調理法が思い浮かばないな。
パン……でいいか。
何か塗る物は……面倒だな、いらない。
食料庫の扉は強固だから、モンクルスは使えない。
ジンがいたら持ってこさせるんだけどな……。
やっぱり不便だ。
学校が終わったら、すぐに代わりを探しに行こう。
自室から出る。
廊下が左右に伸びていて、右に行くと玄関、左に行くとキッチンなどがあり、
キッチンの奧にはトイレがある。
食料庫はトイレの更に奧だ。
左へ曲がって、キッチンを通過。
更にトイレの入口を通過して、食料庫の扉に手をかける。
すると──
バチッ!
軽い電撃が俺の腕に流れた。
「っ!?……そうか。しばらく自分で使ってないから忘れてたな……」
何となく、泥棒対策に罠を仕掛けてたんだった……仕掛けたのはずっと昔だが。
自分の仕掛けた罠にかかるとは……情けないな。
それにしても、昔仕掛けた罠で助かった。
効力が落ちてるからこの程度だったが、最近仕掛けた罠だったら俺は今頃痺れて動けなかっただろう。
「我を受け入れよ 我が名はクラム この家の主なり」
解呪の呪文を唱える。
うちにある罠の解呪の呪文は全部これだ。
単純で覚えやすいし、何より他のを考えるのが面倒だったからな。
「さて、パンは──」
扉を開き、唖然とした。
「……やられたな」
食料庫は、空になっていた。
犯人は判り切っている。
あのジンだ。
今まで酷使してきた仕返しのつもりか。
もしかしたら、他にも消えている物があるかもしれないな。
まぁ今はいい。
朝食がないのならないで構わない。
一食抜いた程度では大差ないからな。
弁当も作れないが……久しぶりに食堂というのも良いかもしれない。
「それじゃ、学校へ行くか」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
学校に着いた。
今は七時半。
一限目が始まる時間よりも一時間以上早いが、これも癖になっていて遅く来る気にはなれない。
タッタッタッ......
教室に行くまでの長い廊下を歩く。
タッタッタッ......
聞こえるのは俺の足跡のみ。
タッタッタッ......
朝のこの廊下は気持ちが良い。
タッタッタッ......
窓から日光が差し込んでくるし、人にも会うことがない。
タッタッタッ......
別に人が嫌い、という訳ではない。
タッタッタッ......
ただ、馴れ合うのが苦手なだけ。
タッタッタッ......
だから俺は、来る者は拒まないが自分からは望まない。
タッタッタッ
この性格のお陰で、俺には友達と呼べる人はほとんどいない。
──まぁ俺にとって、孤独は苦痛でもなんでもないんだが。
俺の目の前には教室の扉。
整備がしっかりしているのか。
軽く押すだけで、それは音もなく開いた。
教室の中はガランとしている。
人は俺以外に……一人。
ブラウンの髪と、髪と同じ色の瞳。
ひ弱そうな身体つきの女子がいた。
どうやら、彼女もこちらに気がついたようだ。
「あ、クラム君。おはよう」
いつものように、彼女は笑顔で挨拶をしてきた。
俺も笑顔──では無理だが、挨拶を返す。
「おはよう、ティディア」
彼女はいつも、俺より早く来ている。
理由は知らないし、訊く気もない。
多分俺と一緒で、癖になっているだけだろう。
「今日の一限目って何か覚えてる?」
突然、彼女が尋ねてきた。
「魔術理論。今日からは確か、下級悪魔の召還理論だったと思うよ」
「そっか。ありがとう」
いつものことだ。
朝に教室で二人っきりで静かにしている。
彼女はその状況に耐えられないかのように、いつも何か他愛もない話をしてくる。
「あ、今日って宿題あったかな?」
「いや、ない」
──さて、今日も他の人が来るまで、こんな会話が続くのだろうな。